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「教育や情報の大衆化」

教育学のレポートでも制作していらっしゃるんでしょうかね?
教育を「受ける側」と「授ける側」とで視点を分けるとなると、実はたいへんな齟齬があって深刻である、という論点の御質問です。
いや〜、持論100%の回答になっちゃったです。
それでは早速質問を見ていくことにいたしましょう。



御質問(QNo.3501108)

「教育や情報の大衆化」

質問者:mdas1192さん
誰もが教育を受ける機会があって、自己実現・自己統治や職業選択の自由があるのはとても良いことだと思いますが、その反面、教育や情報の大衆化の社会におけるデメリットも多いんじゃないかと感じます。
でも自分の中でそれを上手くまとめることが出来ていません。

教育や情報が大衆化したことによる弊害・デメリットをあげるとすれば、どんなことが考えられますでしょうか?
アドバイスお願いいたします。

(質問者:mdas1192さん)

これに対する私の回答を以下に記します。

回答 ANo.2
回答者:hankyu8200

人様に喜ばれ、社会に貢献できてこそ「人生、華である」という前提で、御質問の文面を精読させていただきました。
mdas1192さんのおっしゃる教育や情報というのは、この目的を達成するための手段であるという視点。
これを見誤ることほど「衆愚」な話はない、ということだといえましょう。

それにつけてもmdas1192さんの、「教育や情報の大衆化」という視点は鋭い切り口ですね。
ここで、教育を受ける側が修了後に社会で貢献するにあたって、その成果を多かれ少なかれ還元するものなのだという性善説のような視点ですと、デメリットが見えてこないのかもしれません。
というのも、

  ●該当する教育の目的と
   受講側の目的・意志・ねらいとの不一致。
  ●受講側の修了後における
   目的・意志・ねらいの喪失。
  ●実際に「習得した内容を生かして」
   社会で成功し認知された体験がない。
  ●人間性を豊かにするための
   常識・しつけを受けていない。
  ●「結果の悪平等」論を旨とした
   教育での成果を引きずっている。

今ちょいと思い浮かべただけなのですが、このような条件が該当すると、高度な教育や情報を持っていても自ずとマイナスな結果にしかならなくなります。
なぜか。
おおよそ次に挙げるような能力のどれひとつ欠けても、社会に貢献できる人間として授けられた高度な教育や情報を生かすことができないばかりでなく、反社会的な犯罪行為に活用してしまう、なんてヤカラが出てこなくもないからです。というか、すでに日本国内にあっても残念ながら出現してきていますわな。

  ○知識・常識・教養にとどまらない
   物事を正しく理解する力
  ◎柔軟な論理的思考能力
  ◎まともな判断力
  ○全うな実行力

全ての人が該当するわけでは当然ありませんが、特に高学歴の方々をはじめとして、まさに御質問の文面にありますような「教育を受ける機会があって、自己実現・自己統治や職業選択の自由」を享受してきた人達については、これだけの能力をフル動員して社会に貢献して然るべきところ。

が、その実態はどうか。

たとえば、世間を騒がせるテロ事件を起こした過激は集団や某カルト宗教団体の幹部なんていうのは、どこの国かを問わず、実は端から高学歴なヤカラだったなんていうのは象徴的です。
犯罪を、凶悪犯の中でも粗暴犯・知能犯に分けたとしますと、教育や情報を受けた経験のある人達というのは圧倒的な割合として知能犯に多いというデータは、出典不明ですが、聞いたことがあります。
見るからに何か犯罪を犯しそうな風体だというわけではないにもかかわらず、この体たらくになってしまうのは、ズバリ、判断力の欠如でしょうな。
全ての宗教が、該当するわけではないことを、申し添えておきますけれども、右や左のセクト思考・宗教団体のタチの悪さもさることながら、こういったものに頼らざるを得ない人達の、「志」の弱さと「人間」の弱さと「頭」の弱さ…。
これが問題となるところでありましょう。

一方で、NOVAの経営破綻で明らかになった「英会話教室」受講者の数。
私はあれを見聞きして仰天しましたね。
余談ですが、外資系企業で、日本人しかいなくて日本人相手に会話するのに、わざわざ英語で会話するなんていう空気の読めない「KYな」人達がいまだにいるのも、これまた否定できない事実です(苦笑)。
こういった日本人特有の英語コンプレックスがどう関係したのか、いざ知らず、といったところですが。
英語教育というのは、これを修了したらば英語を母国語とする文化圏に出向いて、そこで何らかの生産的な活動をする、という確固たる目的がないことには受講してもムダなことだと思いますね。
では、そのような目的があるにせよ、その目的を達成するための手段はいくらでもあるはずなのに、なぜ高額な受講料を払ってまでも英会話教室がはやるのか。
手段にこだわる人が多いように想像します。
といって、なにも英会話学校に通うのがいけない、と主張するつもりは毛頭にありません。
おおよそ、こういった視点でこの回答の冒頭に挙げました「該当する教育カリキュラムの目的と受講側の目的・意志・ねらいの不一致」と、そもそもの「受講側の目的・意志・ねらいの喪失」、論理的思考能力・判断力の欠如が原因となるでしょうね。


御質問の文面での「教育や情報の大衆化の社会におけるデメリット」とは、本来の教育の目的、すなわち社会で一人前に食っていけるための社会貢献のできる人間の育成であるということを見損なったヤカラが、確固たる「志」もなく、詰め込められるだけ詰め込まれた知識だけをもって社会に出た結果

問題を解決することが求められる局面

において「論理的思考能力」「判断力」が欠如、もしくは発揮できないために間違った結果を出してしまい、それが実際に社会に悪影響を及ぼしてしまうこと、なのではないかなあと斟酌できると思います。


拙い長文になってしまい大変恐縮ですが、御参考になれば幸いです。



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▲TX車内から眺める、八潮の空



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